2011年10月25日火曜日

セニョール

僕、6つ年下の弟がおりまして、

スカイプで連絡が来たので

話しておりましたですよ、1年ぶりぐらいに。


僕「おぅ久しぶり、元気?」

弟「元気だよ、おめぇは? どこにいんの、今?」


もうねぇ、この時点でかなり通話を切りそうになったんだけどさぁ、

もともと躾のなってないのも知ってるし、

まぁさぁ、いっても大人じゃん、僕。

いちよう耐えるじゃん、僕。

でね、


僕「今、メルボルンにきてるのよ。オーストラリアの、知ってる?」

弟「知ってるさぁ。いいじゃん、楽しい?」

僕「ん〜、まぁ普通」


と、答えた訳ですよ、普通だから。


したらね、


弟「普通かよっ、楽しめよっ!」


だって。


あのねぇ... “腹立つ” を通り越してに落ち込んだわぁ。

その後も、会話の中にひとつのデリカシーも無いし。


苦痛


血がつながってるだけに、心が折れたですね。


まぁ、これは最たる例なのですが、

実はねぇ、年を経るごとに、家族と会話がかみ合わなくなっておりまして...

離れて生活している間に、価値感という溝が、

少しづつ、少しづつ

気が付いたら随分と深まってきています。



遠く離れた今でも、家族に会いたいと思わないもの。

極端に言ったら、血のつながった一個人という感覚なのね。

もちろん感謝はしてるし、仲が悪い訳ではないんだけど。


ただ、この感覚に若干の疑問を持ちつつも、

しょうがないのよね、本当だから。


なんだろ。

まぁ、もぉちょっと考えよ....

もぉちょっと考えます。

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