ケンジョンソン の ハコニワ
2011年8月11日木曜日
最後のひとつ
遠慮のカタマリを眺めながら、
『遠慮』
ということについて考えてみた。
自分の嫌な所の行き着く先に、遠慮は待ち構えている。
いや、『遠慮』というよりも『変な気の使い方』なのであろう。
これいったら失礼かな、傷つくかな、間違ってたらやだな、
とか、いろいろ。
必要以上に察してしまい、
結局何も言えない。
言わないという『逃げ』な気もする。
ストレートを磨かなくては...
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